今年一年間で硬軟取り混ぜ実に115冊の本を読んだ。昨年を上回り自己最高記録更新!
思えば、十代の頃も良く本を読んだり、テレビを見たりしていた。そしてそれは多くの場合、未知の世界を知るためのものであった。やがて大人になって、いろんな経験をし、いろんな物を見、いろんな気持ちを感じるたびに、「あ、これって、あの本に似てるな」とか、「いつかテレビで見たな」という一種のデジャヴュを伴うことが時々あった。
ところが、さらに歳を重ねるにつれ、今度は本を読んでいる時に(テレビはもう16年見ていない)、「あ、ここに書かれている街の風景、昔見たことあるよ」とか、「あ、この主人公の気持ち、あの頃の自分の気持ちそっくりだ、わかるわかる」とか、「これ、同じこと俺も考えてたよ」という風に、逆の意味でのデジャヴュを感じることが多い。つまり、読書が自分の過去を再確認する作業になってきている。そうなると、本を読む目もシビアになってきて、これは全然書き込めてない駄作だな、なんてことも一読してわかってくる。
良くも悪くも、それだけ自分も歳をとったということである。
思えば、十代の頃も良く本を読んだり、テレビを見たりしていた。そしてそれは多くの場合、未知の世界を知るためのものであった。やがて大人になって、いろんな経験をし、いろんな物を見、いろんな気持ちを感じるたびに、「あ、これって、あの本に似てるな」とか、「いつかテレビで見たな」という一種のデジャヴュを伴うことが時々あった。
ところが、さらに歳を重ねるにつれ、今度は本を読んでいる時に(テレビはもう16年見ていない)、「あ、ここに書かれている街の風景、昔見たことあるよ」とか、「あ、この主人公の気持ち、あの頃の自分の気持ちそっくりだ、わかるわかる」とか、「これ、同じこと俺も考えてたよ」という風に、逆の意味でのデジャヴュを感じることが多い。つまり、読書が自分の過去を再確認する作業になってきている。そうなると、本を読む目もシビアになってきて、これは全然書き込めてない駄作だな、なんてことも一読してわかってくる。
良くも悪くも、それだけ自分も歳をとったということである。


昨晩我が家で友人達を招いてクリスマスパーティをしたのだが、その席で、「内観」という一種の瞑想法を研修指導しているFさんと、最近池谷裕二が面白い、中でも『進化しすぎた脳』が最高!という話で盛り上がった。その後も、福岡伸一、カール・セーガン、クリシュナムルティの話題へと続き、知的に大いに刺激された。大学を出てこの方、他人と共通の読書体験で盛り上がることがほとんどなかったので、久しぶりにものすごく楽しいひとときだった。


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