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『運命がどんどん好転する』・読書日記
 以前ヴィパッサナー瞑想の記事で書いたが、「慈悲の瞑想」をする意義というものがどうも今ひとつ納得できないでいた。この本は、買うのが恥ずかしくなるほど安っぽい題名ではあるが、慈悲喜捨の瞑想に関する簡明な解説書という書評があったので、読んでみた。実際1時間もかからずに読みきれたが、慈悲喜捨の概念を大づかみにできて、今の僕には非常に役立った。
 著者は、1991年スリランカから日本に来て以来、上座部(小乗)仏教の布教に努めているスマナサーラ長老。なんと日本語での著書数、100冊超!

 この本によると、仏教以外の全ての大宗教が共通して、人間を幸福にするものとして「愛」という言葉を使っているらしい。しかし、「愛」とは非常に曖昧な概念であり、どれが純然たる愛か、どれが育てるべき愛かはっきりしないところがある。例えば、異性に対する愛、お金に対する愛、家族に対する愛、こういうものはえてして独占欲や所有欲を含んでいて、仏教的に見れば、三毒(克服すべき最も根本的な三つの煩悩)の一つである「貪(とん)」(=欲、執着)ということになってしまう。
 「愛」でなければ、仏教的に見て人間を幸福にしてくれる心の働きは何なのか。それが、「慈悲喜捨」である。ちなみに「慈悲喜捨」とは、別名「四無量心」とも言われるように、慈・悲・喜・捨の四つに分類される心のあり方であって、慈悲・喜捨ではない。

 「慈(メッター)」。これは友情と考えていいらしい。友情を育てる上で邪魔になるのが、高慢な心、批判精神、自分の内なる世界にこもって孤立したくなる性格(耳が痛い)、独占欲など。
 「悲(カルナー)」。苦しんでいる人、自分より不幸な人を助けてあげたいという心。抜苦。但し、どこか高慢な心で自己満足的、打算的にやっていたら本物ではない。実際に助けられるのは二、三人であっても心の中に常にそういう思いを満たしておくことが重要。
 「喜(ムディター)」。人の幸福、成功、幸運を見て、それを共に喜ぶ感情。自分や自分の身近な人たちの喜びから、自分に直接関係のない人たちの喜びまで共有できるように、イメージトレーニングで対象範囲を広げていく。そうすると、世の中のどんなものを見ても、常に喜び、楽しく考えられるように心が変わっていく。

 我々普通の人間にできるのは、大体この三つまで。これを一切の生命に対して限りなくこの感情が現れるまでやるのがポイント。そして、四つの内で自分の得意な分野から伸ばしていけばいいらしい。

 最後の「捨(ウペッカー)」。平等な心、平安な心という意味。前述した三つの感情は、どれも心が波立った状態であるが、この波立った状態を消してしまわないと本当の心は作れないという、一つ高次元の話。全てのものを生きとし生けるもの(衆生)としてわけ隔てなく平等に見る。そして、その生命がいろいろとやっていることは全てお構いなし、いちいち感情を動かされない、という境地。ここまで修行できると静かな幸福に浸れるらしいが、これは凡人には理解も実践も難しい。

 これら、慈悲喜捨の四つの心を日常生活の中で育てるのはなかなか難しい。という訳で心を育てる目的で体系化されたのが、「慈悲喜捨の瞑想法」。これを純粋に念じていれば必ずその通りに自分の心が変わっていくらしい。実際的な方法としては、静かな場所で、背筋と頭だけは真っ直ぐになる姿勢で座り、目を閉じて以下の文言を唱える。口に出しても出さなくても良い。

 私が幸せでありますように(慈の瞑想)
 私の悩み苦しみがなくなりますように(悲の瞑想)
 私の願い事が叶えられますように(喜の瞑想)
 私に悟りの光が現れますように(捨の瞑想)

 私の親しい人々が幸せでありますように(慈の瞑想)
 私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように(悲の瞑想)
 私の親しい人々の願い事が叶えられますように(喜の瞑想)
 私の親しい人々にも悟りの光が現れますように(捨の瞑想)

 生きとし生けるものが幸せでありますように(慈の瞑想)
 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように(悲の瞑想)
 生きとし生けるものの願い事が叶えられますように(喜の瞑想)
 生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように(捨の瞑想)

 私の嫌いな人々も幸せでありますように(慈の瞑想)
 私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように(悲の瞑想)
 私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように(喜の瞑想)
 私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように(捨の瞑想)

 私を嫌っている人々も幸せでありますように(慈の瞑想)
 私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように(悲の瞑想)
 私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように(喜の瞑想)
 私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように(捨の瞑想)

 生きとし生けるものが幸せでありますように
 生きとし生けるものが幸せでありますように
 生きとし生けるものが幸せでありますように 

 本を読んで「慈悲喜捨」という言葉の意味、文言に含まれている思想が何となく納得できたので、毎日寝る前にこの瞑想をやってみてもいいかな、という気持ちに少しなっている。

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