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屋久島まで -等身大の自分- その3
 前回に続き、「水車むら通信」に連載していた「屋久島まで」の転載であるが、また前置きを。
 僕が水車むらに行き始めたのが1987年。その時まだ回っていた水車むらの水車は、残念ながら現在は回っていない。昔風の大型低速回転型の水車は実は発電効率が悪いことが判明したり、水路の維持管理がなかなか大変だったり、と諸事情があるようだ。
 水車の止まってしまった今、「水車むら」の目玉は紅茶である。あの当時ほぼ絶滅しかけていた国内産紅茶を、無農薬有機栽培で作り始めた。知らない人も多いと思うが、紅茶も緑茶も実は同じ茶葉から作られるのだ。製造過程で発酵させるかさせないかだけの違いである。但し、紅茶向きの品種というものはあり、幻の日本オリジナル紅茶品種「べにひかり」を発掘、栽培、初めて製品化したのは、水車むらである。初めて飲む人は少し土臭く感じるかもしれないが、紅茶と日本茶が混ざったような優しい味わいが特徴で、ミルクティーにすると特においしい。
 1993年には、僕もなぜか水車むらで3人目の紅茶製造主任になり、その年の国内産紅茶のほぼ1割(約1トン強)を製造してしまった。屋久島に移住した今は、さすがに紅茶製造にタッチしていないが、いまだ愛飲している。本当においしいので、皆さんも是非、試してみてください。→水車むら紅茶の通販サイト


 前回、バスで財布を盗まれ、フィジーの首都スバ郊外の家に転がり込んだ話の続き。
 さて、翌日朝飯をご馳走になった後、することもなく家の中でボーっとしていると、家人がこっちに来い、と手招きする。のこのこ着いていくと、家の縁の下に連れて行かれた。薄暗く狭い空間に真っ黒なフィジアンの青年が3人固まり、一本の手巻タバコを回し飲みしている。不気味な雰囲気に、あれだな、とピンと来た。「お前もどうだ?」。素知らぬ顔をして「いや、僕はタバコはやらないから」といったんは断ってみせる。が、「これはタバコじゃないから」と再度勧めてくる。好奇心旺盛な当時の僕、物は試し、と吸ってみる。と、寒気がして少し気分が悪くなったが、期待していたような幻覚や意識変容は訪れない。
 その後もフィジー滞在中に3回ほど試すが、残念ながら「手巻タバコ」の効能は味わえなかった。帰国後、その筋の人(屋久島には経験者多数在住)に聞くと、やはりもっと回数を重ねないと良さがわからないらしい。でも、僕は良さがわかってはまるようなことがなくて逆に良かったと思う。
 翌日、自分に割り当てられた部屋でリュックサックを整理していたら、現金1万円、トラベラーズチェック3万円分が、無くなっていることが発覚。昨日僕を縁の下でいい気にさせておいて、その隙に盗んだに違いない。頭に血が昇り、家人につかみかからんばかりの勢いで怒鳴り込む。家人は当惑して、僕らは知らない、と弁解するが、それじゃあ一体誰が盗んだというのだ!悲しいけど、僕は即刻その家を飛び出した。
 この話には、後日談がある。3ヵ月後、偶然、その家人とスバの街中で出会ったら、「あれから数日後、隣の家のガキが君のトラベラーズチェックを持っていたので、追及したら、泥棒したことを白状した。あの部屋には南京錠も付けたから、安心してまた泊まりに来てくれ」と言われたのだ。フィジアンの家の開放性、一部の子供のモラルの無さを考えると、恐らくこれが真相だったのだろう。親切に泊めてくれた人たちを泥棒呼ばわりして本当に申し訳ないことをした、と深く反省。でも、やっぱり彼の家には恐くてもう二度と行けなかった。
 さて、家を飛び出したはいいが、次にどこに行こう。やはり、本島は町が発達しているせいか治安も悪く、のんびりした南国の楽園イメージには程遠い。離島に行かなくてはダメだと、より小さい島へ船旅を続ける。すると、船で旅する外人旅行客は珍しいせいか、フィジアンがすぐに声をかけてきて、甲板の上で即席カバパーティが始まった。カバとは、胡椒科の木の根を水に漬けて搾り出した汁のことで、南太平洋諸島では日本人のお茶感覚で愛飲されている。見た目は泥水そのもの、味は漢方薬っぽく、麻薬ではないのだが気分を沈静させる作用がある。飲み方は、汁が並々つがれたココナッツのお椀一つを車座になった男衆が順番に回していく。自分の番が来たら一気に飲み干して次に回す。これがエンドレスで続くので、途中で座を抜け出さない限り、最後は腹がガッポガッポになる。
 その日は、カバを水に漬ける器がないとかで、誰かがどこかから持ってきたモップ洗いのバケツみたいなのの中でゴシゴシ汁を搾り出していた。さすがに絶対飲みたくなかったのだが、回し飲みのコップが僕の前に来てしまい、断りきれず・・・。これを数回繰り返すと、案の定、翌日は一日中トイレから出られなかった。で、席上知り合った一人のフィジアン(名前はトゥキ)が言うには、今から妻の実家に里帰りするところだが、そこがとんでもない離島で、いまだかつて日本人は一人も来たことがないとのこと。「これだ!」とひらめき、頼み込んで連れて行ってもらうことにした。
 フィジーで3番目に大きいタベウニ島から、トゥキのモーターボートで外洋を進むこと2時間。こんな大海原の先に本当に有人島があるのか不安に思い始めた頃、やっと見えてきたそのヤヌーザ諸島は周囲3キロ、住民は100人にも満たない小島であった。日本なら、鹿児島のトカラ列島という感じか。ボートが島に近づくと、島中の子供たちがココ椰子の浜辺に駆け出してきて、真っ黒な顔を並べ、両手を振って歓迎してくれた。まさに、絵に描いたような南国楽園の島。ついに見つけたユートピア!
 翌日から僕は、丸太をくりぬいて作ったアウトリガーカヌーでトゥキと沖の小島に漕ぎ出していったり、犬を連れて島一周の一人旅に出てココナッツの実を取ったり、島の子供たちに極真カラテ教室を開いたり、夜素潜りで捕まえた海亀や伊勢海老をココナッツスープに入れて食べたり、と充実した楽園生活を楽しみ始めた。
 さんなある夜中、家の外がやけに騒がしくて目が覚める。どうも喧嘩をしているような叫び声がする。カラテの技を使って仲裁に入ろうかとも思ったが、事情を知らない外国人が間に入っても混乱するだけだろうし、何より昼の遊び疲れで睡魔には勝てない。そのまままた眠ってしまった。
 翌朝、トゥキに昨夜の話を聞いてびっくり。一少年が島では一切禁止されている酒を飲んで暴れた。その少年が、実は以前から札付きのワルで、去年は、友人をこの島のココナッツの林にイエス・キリストのように釘で磔にしたまま放置した罪で、刑務所に入っていた。かねてから島の人も手を焼いており、今回もタベウニ島から警察を呼んで今日連行してもらうことになった。
 彼の話を聞き終えた瞬間、この島に抱いていた僕の中の「楽園」イメージが、ガラガラと音を立てて崩れていった・・・
 どんなに美しい所でも、どうしようもなく悪い奴がある一定の割合で生まれてくる。自然環境が良ければ、人間も穏やかに性格良く育ち、幸せな社会ができるなんていうのは、近代文明人が作り上げた勝手な幻想に過ぎない。結局、天与の楽園なんてものはどこにも存在しない。本当の楽園は、今目の前にある場所で、不完全な自分がコツコツ作り上げていくしかないんだ。
 そんなことを、おめでたい僕にはっきりと思い知らせてくれた島だった。

 その後も、僕の旅は西サモア、トンガへと続いた。
 西サモアの人々も、フィジアンに負けず劣らずフレンドリーで、あちこちで知り合った人々の家に泊めてもらい、子豚の丸焼きを二回もご馳走になった。人種的にもモンゴロイドで日本人に近く、女性は二重まぶたのクリっとした目の美人が多かった。中でもサラという名の一つ年下の女性(後藤久美子似)とはお互い淡い恋心を抱いていたが、まだウブだった僕は、彼女の手すら握ることなく、別れてしまった。
 トンガはフィジー、西サモアと比べると、王政の国で身分制度がはっきりしているなんてことが関係するのか、僕のような旅人にフレンドリーな人はあまりおらず、一度も人の家に泊めてもらうことがなかった。

 合計3ヵ月半、南太平洋の島々をアイランドホッピングしたが、結局ヤヌーザ諸島で得た教訓を覆すような経験は得られず、日本に敗北帰国。2週間後にはサラリーマンとなり、3年に及ぶ暗黒時代が始まった。      (つづく)

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