スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
屋久島まで -等身大の自分- その5
淀川小屋前の橋

 「水車むら通信」に連載していた「屋久島まで」の転載、今回が最終回。

 その後、札幌で6年、千葉県天津小湊町(現鴨川市)で2年、長野県茅野市で4年過ごした。この間熱中していたことといえば、1989年から始めた日本百名山巡り。98座まで登り、ある程度完遂の目途がついた2006年春、念願の屋久島移住。(百名山は、結局2007年3月、全座最高点完全登頂を果たした。)

 今回は、数ある「南の島」の中で、なぜ屋久島を選んだのか、その経緯を書いてみる。一言で言えば、僕は沢登りが大好きで、屋久島には淀川(上写真)があったから。
 以前の僕はダイビングや素潜りが好きで、珊瑚礁が豊かな熱帯の島への移住を第一に考えていた。しかし、日本的なものへの憧れや英語の苦手意識もあり、異国の地に数年間ならともかく永住するというのは、徐々に考えられなくなっていった。となると、沖縄、特に最南端の八重山諸島かなと思っていた。しかし、沢登りとの出会いが、その後の僕の進路を大きく変えた。

 沢登りに初めて行ったのは、24歳の時。場所は関東、丹沢の勘七ノ沢。連れて行ってくれたのは、高校、大学時代からの親友岡田岳之君。
 登山道などまるでない川の中を、飛び石伝いにまたは水流の中をジャブジャブつかりながら進む。そして、大きな滝が現われると、おもむろにザイル(ロープ)を取り出して、ハーネス(腰ベルト)につなげ、友に確保されながら登っていく。水しぶきを浴びつつ、草の根元をつかんだり、岩の隙間に足を突っ込んだりしながら、ジリジリ攀じる。一瞬、リポビタンDのCM「ファイトー、一発!」の映像が頭をよぎるが、これはフィクションじゃなくて、自分が現実世界でやっていることなのだ。ザイルにつながれているからもし落ちても一応大丈夫とはいえ、人も来ない山奥で、大の大人がこんな危険なことをやっていて許されるのか!?今までしてきた普通の山登りとは全く異次元の世界にびっくり。でも、なぜか無性にワクワク。子供の頃、近所の北の丸公園で探検ごっこをした時の興奮を思い出す。川の水が枯れる源頭に着くと、名も知れぬ花が咲き乱れ、野生の鹿が出迎えてくれた。そのまま軽くヤブを漕いで丹沢山山頂に到着した時は、自分が一段上の登山家になったようで、少し得意な気分。この日、僕は沢登りの魅力に一発でとりつかれてしまった。

 1年半後、北大に再入学した時、あの時の感動が忘れられず、「フラテ山の会」に入会。南の島に移住したらできなくなるであろう山登り、中でも特に沢登りを学生時代だけは堪能しておこうという計算だった。しかし、知床半島や日高山脈の沢に足を運んでいる内に、ますます沢登りの世界にのめり込んで行ってしまう。最終学年の夏合宿、僕はリーダーとして、山の会で初の屋久島遠征を企画。荒川から淀川、そして、小楊子川左俣という、2つの沢登りを計画、実行した。
 合宿本番である小楊子川は、屋久島四大河川の一つで、日本百名谷にも選ばれている。宮之浦岳山頂まで実に5日間かけて沢を詰めるという、規模の大きい山行ができ、達成感はあった。
 しかし、小楊子川以上に感動したのが、プレ合宿で行った淀川であった。全く濁りのない水が、流れることなく鏡のように満ち(だから「淀」川なのだろう)、岩々を分厚い絨緞のような苔が覆いつくす。ところどころツツジの赤い花が色を添える。ポットホールと呼ばれる、岩盤の中にできた球形の穴が、自然の造形の妙を見せる。そんな景色が川の流れに沿って延々と続いていた。
 高校時代訪れた、京都・西芳寺(苔寺)。その日本庭園が頑張って作り上げようとした「美」。その「美」の究極の形が、人為的な力を全く加えずとも、天然自然のまま完成している。ここは、僕の知る限り、この地球上で最も美しいところ。その「美」の真っ只中を、丸一日、歩き、泳ぎ、歓喜の中に進んで行ける「沢屋」は、何と幸せ者なんだろう。いつか屋久島に移り住んで、毎年この景色に会いに来たい。できれば、この河原に家を建ててしまいたい。そう願った。

 そして今から4年前、僕は念願の屋久島移住を果たし、毎年、沢登り三昧の日々を過ごさせてもらっている。そして、残念ながら世界自然遺産区域内の淀川は無理だったが、二又川という川の脇に、泉が湧き出る五反の土地を購入し、現在家を建てる準備中。
 もちろん沢登り以外にも、海ではきれいな珊瑚や海亀を見られたり、野趣溢れる海中温泉があったり、旨い芋焼酎があったり、刺身はメチャメチャ新鮮で安かったりと、屋久島にはいろんな魅力が沢山ある。『水車むら通信』愛読者の皆様、是非一度、屋久島に遊びに来て下さいね。

 それにしても、僕の人生をここまで左右してしまった沢登りの魅力って一体何なんだろう?
 僕を沢の世界に引きずり込んだ岡田君は、「身体性の屹立(きつりつ)」という言葉を良く口走っていた。それが何を意味するのか、良くわからないままに当時聞いていた。が、今僕なりに考えるに、頭でっかちになることなく、自分の身体感覚を大事にしろ、ってことを言いたかったんじゃないかと思う。ちなみに初沢登りの半年後、岡田君に「会社を辞めることにしたよ」と電話したら、「おー、おめでとう!じゃあ来月一緒にヒマラヤに行こう!」と、いきなり。急遽仲間4人でヒマラヤ6000m峰に行く計画を練ったが、出発数日前、僕だけ退職手続きに手間取り参加とりやめ。無事出発できた彼が、メンバー中最も登山経験豊富だったにもかかわらず、なんと高山病にかかり還らぬ人となってしまった・・・。だから、今となっては彼の発言の真意は永遠に謎だ。
 沢足袋の薄いソールを通して足の親指に伝わってくる微妙な岩肌の凸凹。水の流れる音や足元の石が落ちる音、逃げ去る鹿の鳴き声。やぶ漕ぎの時の這い松の匂い、花崗岩を攀じる時の日に焼けた岩と自分の汗の混ざり合った匂い。滝の飛沫に散乱する太陽の輝き、滝壷にかかる小さな虹、焚き火の揺れる炎。途中でみつけた木苺や、ゴクゴク飲む沢の水の味。沢登りは、まさに五感を使うスポーツ、いや瞑想の場といっていいと思う。安全に登るために自らの五感に集中せざるを得ないから、無駄な雑念が湧かなくなる、その瞬間に訪れる心の静寂。そしてまた、今度こそ本当に死ぬかもしれない、と全身に脂汗を噴き出しながら、滝の壁面で一歩足をあげる瞬間の、自己同一感。強烈に感じる「生」のリアリティ。
 外界の景色ももちろんいいが、そんな内面の境地をまた味わいたくて、沢登りにはまっている気がする。「沢中毒」。僕は体が動く限り、恐らく一生沢に向かい続けるだろう。

 唐突ですが、『屋久島まで』の連載、これでいったんおしまいです。長期間のご愛読、本当にありがとうございました。
 ちなみに、以前登場の冨田靖子似マドンナは、10年後僕の女房になり、23年たった今、2児の母。僕にはどうしても、今の女房と、あの時の彼女が同一人物だということが信じられません。どこかですりかわってしまったんじゃないかと思ってます。                                       (おわり)

Comment

管理人にのみ表示する

富田靖子似?
屋久島までー等身大の自分ー拝読、楽しみました。その5の、沢登りの魅力を伝える文章には頷きつつ。。。私にとって奥さんは、富田靖子というよりは、西田尚美を想起するんですよ。ちゃきちゃきな感じが。
まっちん◯ | URL | 2010/04/23/Fri 18:23 [EDIT]
あはは(笑)
こんにちは。
あれでも昔は、デビュー間もない冨田靖子に雰囲気そっくりだったんですよ。
西田尚美、初めて見てみました。うーん、まあ5キロ位痩せれば似てなくもないかも・・・
お世辞でもどうもありがとう。
屋久島遡行人 | URL | 2010/04/23/Fri 19:27 [EDIT]

Track Back
TB*URL

Copyright © 源頭の風景を求めて・・・. all rights reserved.
Design by Pixel映画山脈

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。