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『ミュータント・メッセージ』と『パパラギ』・読書日記
サモアの家(ファレ)
 2年前から妻に薦められていた『ミュータント・メッセージ』という本を、先日やっと読んでみた。アメリカ人の中年女性医療関係者がオーストラリアの原住民であり採集狩猟民であるアボリジニの一団に招かれ、彼らとともに旅をした記録。旅といっても、アボリジニの生活リズムのままに、素足、裸同然で灼熱の原野を水や食料を求めてさすらい歩くもの。過酷な生活に何度もめげながらも、やがて彼らの精神的満足度の高い暮らし、現代人の失ってしまった感覚に気づいていくという、なかなか感動的な作品だ。
 で、読んでいる途中にふと思い立って、amazonの書評を見ると、なんと、この作品が実話をうたっているが、ほとんどフィクションであり、現地のアボリジニからも抗議されていることが判明。なんだか、感動して損した気分になった。(この問題について詳しく知りたい人はこちらのサイトを参照してください。)
 で、ふと気になって、名著『パパラギ』も調べてみた。『パパラギ』は、20世紀初頭、ヨーロッパ社会を見て回ったサモアの酋長ツイアビが、帰国後村人たちに向けて行った演説を、ドイツ人がまとめた本。内容は現代文明に対する痛烈な批評、啓示がいっぱいで、読んでいて目から鱗が落ちる感じ。ちなみに、パパラギとは、「空を打ち破ってきた人-帆船に乗って現れたヨーロッパ人」のこと。
 が、これも実は、サモアに1年暮らしただけのドイツ人作家がでっち上げた本であることが判明。なんということか!『パパラギ』は20歳の頃何度も読んで、その後の僕の人生に大きな影響を与えた本だっただけに、『ミュータント・メッセージ』の100倍くらいショックだった。(正確には、ドイツ語の原著には序文でフィクションであることが明記されているが、日本語で翻訳出版する際、わざとそこを曖昧にして読者の誤解を招くようにしたようだ。それにしても、20年前ならこの問題を調べてもなかなかわからなかっただろうが、現代は一瞬で情報が手に入ってしまう、そのインターネットの威力は凄い。)
 そういえば西サモアを旅した時のことだ。西サモアの家は、1番上の写真(Rさんのサイトより、許可を得て転載)の如く、壁も家具もまるでない。最低限の家財道具は物置や炊事小屋にしまってあるのだが、とにかく、「物」がほとんど無い暮らしなのだ。そして、日曜日に正装して教会に行くと(サモア人はほぼ皆キリスト教徒なのだ)、村の酋長が「若者は先進国の物質文明にあこがれるが、サモアには豊かな食料と平和がある。これ以上何を望むのか!」みたいな演説をしていて、ああ、『パパラギ』の精神は今でも残っているんだなあ、と素直に感動した。この時ホームステイしていた村が、『パパラギ』の酋長がいた村の2つ隣位の近くなはずだったので、いろんな人に『パパラギ』の話をしたのだが、誰も知らなかった。あんなに世界的に有名な本なのに、案外地元の人は知らないんだなと不思議に思っていたが、でっち上げ本だとすれば話は合う訳だ。
 どんなに感動的、示唆的であったとしても、実話のふりをしたフィクションとなると、うまいこと騙されたようで、いい気持ちはしない。『パパラギ』を信じて田舎で自給的な暮らしを始めた僕自身が、自分が正義の騎士だという妄想にとらわれ、風車を巨人と思い込んで突進するドン・キホーテの哀れな姿と重なってしまう。
 しかし考えてみれば、自分達の暮らす社会への批判や反省を、他の社会に住む人から見た形式で表現する風刺小説という手法は、ガリバー旅行記を始め決して珍しくはない。その批判や反省が、(伝統的な社会に対する誤解を与えることなく)本当に自分の心に響くものであったのなら、実話だろうがフィクションだろうが関係なく、そのまま受け止めていいのかもしれない。少なくとも、僕は今の時点では、『パパラギ』に惹かれてサモアを旅したことも、都会から屋久島に移住したことも、良かったと思えているのだから・・・。
 絵本でも『パパラギ』が出ているが、娘がもう少し大きくなったら是非読ませたいと思っている。



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