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心の汗をかく -集中内観報告その3-
今日の宮之浦の夜景

 過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる。

 今日は5月10日。集中内観参加の記録、最終回である。

 その後、「嘘と盗み」のテーマで1日調べた後、妻に対する内観をじっくり2日かけて行う。
 妻との15年間を振り返ると、僕は今まで自分の夢(妻との結婚、日本百名山、屋久島移住、土地購入などなど)をいろいろ実現してきた強運の男だ、といい気になっていたが、その過程でいかに妻に犠牲を強いてきたか、改めてよくわかった。あまりに恥ずかしいので一部のみ簡単に書くと、
 ・1回目の流産直後の妻を吹雪の安達太良山に引きずりこみ、山スキーが初めての妻、谷に滑落。
 ・前日に眼底出血をして片目が見えない妻を、「とにかく安静にしていれば大丈夫」と麓の駐車場に残し、一人で霧ケ峰登頂。
 ・臨月間近の妻を実家に置いて、携帯も通じない雪山の南アルプス(悪沢岳~赤石岳)を5泊の縦走。
 ・長女出産1ヶ月後に、交通事故に遭い、脳室内出血にて入院。数日後に遠方の実家から赤子連れでやっと見舞いと引越しに来た妻に、「来るのが遅い!」となじる。
 ・前兆が来ていると言われたのに無視して筑波山に向かい(その夜には自宅に戻ったが)、案の定翌日、妻2回目の流産。
などなど。僕が妻の立場なら、これでは何回も離婚しているだろう。ここまでひどい仕打ちをされても、僕についてきて面倒をみてくれている妻には、今後一生頭が上がらない。これに気づけただけでも、今回内観に来た甲斐があったというものだ。

 ところで、内観で得られる気づきは、予想通りのものもあるが、予想外のものの方がむしろ大きい。そして、人によって得られるものの種類も量も違うのだが、僕が思うに、ある人が得られる気づきの量は、
  (事前に抱えていた苦しみの量+元々の求道心の強さ)× その人の個性
で決まるような気がする。「その人の個性」というのは、あまり理屈っぽく考えることなく、素直に物事に入り込める性格かどうかということ。僕の場合、苦しみの量も人から見れば大したことないのだろうし、求道心はほとんどゼロ、頭でっかちなところも内観向きではないと思う。
 このブログを書くようになってからますますひどくなっているのだが、どうも僕には、自分の人生をストーリー付けて格好良く語りたいという虚栄心がある。今回も、合宿後半に入り内観の要領がつかめてくると、面接で話す内容を、それまで話した内容と全てつながるような上手なストーリーに仕立てようという思考作業に熱中してしまった。(挙句の果ては、内観参加報告のこのブログ記事をどうまとめようか考え始める始末!)その分、心に汗をかきながらひたすら過去の記憶を思い出そうと努力することができなくなった。それ故、忘却の彼方に沈んでいた大昔の記憶が突如色鮮やかに蘇ってくる、という感動体験もたった1回しかなかった。結果、「合宿最終日に、天地がひっくり返るほどの感謝感激で、涙がボロボロ流れる」といった、人生観が根本から変わる結末には、残念ながらならなかった。正直、表面的な内観で終わってしまった、という気がする。
 それでも、内観終了後、研修所を出て佐賀駅へ向かう帰り道の光景が、いつもよりキラキラ輝いて見えた。これは、一週間屏風の中にこもっていて瞳孔が散大していたためばかりではないように思う。

 8日という時間がたった今、あの時の感動はどんどん薄れ、イライラしながらまた日々ルーティンワークに埋没しつつある。やはり、一回の集中内観だけで生まれ変われるということはなく、心をきれいに保つには、毎日短時間でも日常内観を重ねて心の洗濯を続けていく作業が欠かせないようだ。それでも、今こうして振り返ってみて、あの一週間で僕はほんの少し救われた気がする。まあ、合宿中も、毎朝起きぬけに掃除機をかけた後、こっそりトレーニング(3日周期に、腕立て伏せ108回→懸垂36回+腹筋108回→ランニング代わりにスクワット108回)をやり続けていた「自我男」だからなあ・・・。そんなに救われなくて当然でしょう。

 これからは、「してもらえなかったこと」、「手に入らなかったもの」をいつまでも気にするのではなく、「してもらえたこと」、「すでに手に入れているもの」に気づいて、穏やかな幸せを感じる、そんな生き方を目指していきたい。
 合宿最後に池上先生に言われた言葉。
 『火の車 造る大工はなけれども 己(おの)がつくりて己(おの)が乗りゆく』
 うーん、なんだか身に沁みます・・・
 「内観」、行って良かった。


 Yは今頃一体どんな人生を送っているのだろう?幸せな家庭を築いているのだろうか?大人になった今でも時々考える。
 僕ら二人に縁があれば、またいつかどこかで、何らかの形できっと再会できるのだろう。その時は、きちんと土下座して、僕の無礼を詫び、Yの寛大さに心からお礼を言いたい。その日が来るまでは、Yの健康と幸福を、同じ空の下で願い信じるだけだ。  合掌。


最後のおまけ
 最近、仕事が終わった夕方、時々ヴィパッサナー瞑想をしている職場屋上からの眺め。
 太平洋宮之浦方面

                                           (おわり)

Comment

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わざわざお礼,ありがとうございます。
気をつけて下降されて下さい。
私も彼のことは気になっています。
インヤン | URL | 2010/05/13/Thu 16:26 [EDIT]
感動しました。
最後のYくんのところで、涙が出そうになりました。私も過去に内観を体験し、大学の卒論のテーマにしました。
また、クリシュナムルティなどの自己洞察系の瞑想も探求してきました。

本当に正直に御自分の体験を書かれていて、感動しました。
屋久島には行ったことがないので、行った時にはぜひガイドをお願いします。
shin | URL | 2010/06/05/Sat 07:09 [EDIT]
僕は偽者です。
初めまして、こんにちは。
shinさんのブログ拝見させていただきました。とんでもない方が僕のブログを訪ねてくださったな、というのが正直な気持ちです。
というのも、僕はshinさんとは違って偽者なのです。ブログも虚飾でいっぱいなのです。騙してしまって、ごめんなさい。

shinさんのブログをぱらぱら見ていて、ふと思ったこと。
「やはり、中庸が一番いいような気がする。でも何が中庸かをわかるためには、自分の目である程度両方の極端を見て来ないとならないんじゃないか。
自分を抑圧することだけはしたくない。自由でいたい。」

まとまりなくて、ごめんなさい。いまだ内的混乱状態なのです。

以上、こんな私でも良ければ、いくらでもガイドします。但し、「沢登り」限定、結構ハードですよ!(笑)
屋久島遡行人 | URL | 2010/06/05/Sat 10:55 [EDIT]
自分のことを偽者だと言える人ほど、私は本物だと思っています。
自分のことを突き放して見つめることができる人はそれほどいないですから。

抑圧と自由の問題は深いですね。クリシュナムルティはそのことを生涯をかけて説いていましたが、実践するとなると大変難しいと思います。
私は、型を練習することと、型を超越することの両方が必要なのかなと思っています。内観は型の練習に近いですが、型をしっかり練習しないと、それを超越することもできないのだと思います。

ありがとうございます。
shin | URL | 2010/06/06/Sun 07:13 [EDIT]

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