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『錦繍』・読書日記
錦繍
 最近、不惑を越えて年甲斐も無くなのだが、恋愛小説を読み漁っている。

 最初は、恋愛小説と言えばなんとなく女流作家のものと思い、山本文緒、唯川恵、小手鞠るい、藤堂志津子、森瑤子、吉本ばなな、夏石鈴子と乱読。しかし、どうも雰囲気だけで読ませる感じで、読んだ後で心にズシリと残らない。
 ならば、男性作家はどうか。渡辺淳一は、男版ハーレクインロマンス=単細胞。檀一雄を巡る三部作(『火宅の人』、『檀』、『檀一雄の光と影』)はなかなか面白かったが、なんだか今の自分と世界が違いすぎる気もする。最近の作家で行くと、石田衣良は僕の雰囲気じゃない。村上春樹、東野圭吾なんかは、さすがに一気に一日で読ませる面白さはある。しかし、それでも、どうにも書き方が一面的で物足りないのだ。つまり、ときめきの純愛と凡庸な現実生活という対比があまりにステレオタイプ化しており、また、前者の方にばかり重点が置かれていて、毎日のあくせくした現実生活の中で主人公が成長していく部分がまるで書かれていないのだ。一言で言えば、主人公達に生活感が無さすぎるのである。人は恋愛のみでは生きていけないと、僕は思うぞ。

 ところが、昨日読み終わった、宮本輝の『錦繍』は違う。(もう古典と言っても良いくらい定評のある作品のようだが、今回初めて読んだ。)

 あるとんでもない事件がきっかけで離婚した二人が、10年ぶりに思いがけず、ほんのわずかの時間再会する。その後に二人の間に十数回にわたって交わされた往復書簡という形の作品。内容は、これから読む人のためにここでは書かない。
 村上春樹的な(と言ったら、春樹ファンに「お前はまるでわかってない」と怒られるのは間違いないだろうが)「生まれた時から赤い糸で結ばれた、特別な相手がいる」という幻想は甘い。
 かと言って、「赤い糸は、二人で一生紡ぎ続けて初めてできあがるものだから、死ぬまで頑張りなさい」という、努力至上主義も重すぎる。リアリスティックなようでいて、やはり赤い糸の存在を期待している点も、格好悪い。
 長い人生の間には、皆、いろんな相手と出会うだろう。その内の一人だけが特別な存在として一生あり続けるというのは、結局理想論だと思う。現実には、それぞれの相手に瞬間瞬間様々な思いを抱き、一生それを胸に抱えながら、でも、厳然として目の前にある現実の生活、これを生きていかなくてはならない。そして、自分の過去があって今の自分があり、今の自分の積み重ねで明日の自分ができていく。
 そんな悲しい人間の性(さが)、人生の業(ごう)を、この作品は見事に描ききっている。
 結末は決してハッピーエンドではない。でも、読み終わった後に、主人公の二人のように、過去を受け入れる方向で心の整理が少しだけついて、退屈な日常もちょっぴり前向きに生きていこうと思える、有り難い作品。

 これぞ、本物の純文学。



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