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土壁研修 in 佐賀 その1
as it is
 「朽ちゆくものの美」
 どんな物にそれを感じるだろう?

 例えば、屋久杉の倒木更新。
 倒れた大木の樹皮に根を張った次代の赤ちゃん杉。腐りきる前に最後の一仕事をする老木の姿に、未来へ受け継がれていく生命のつながりを感じるかもしれない。
 
 或いは、夕陽を浴びる、廃墟と化したコンクリートアパート群。
 そこで遊んでいた子供たちの笑い声、夕餉の支度をする煙の匂い・・・。そんな往時の幻影が脳裏をかすめ、哀愁を覚えるかもしれない。
 
 でも、僕にとっては、何といってもドゴン族の家だ。
 10年前、千葉県の片田舎にある私設美術館「as it is」を訪れたときのこと。中村好文氏の手になるその建物は、壁が全てその土地の土を練ってできていた。こんなんで、雨に濡れて崩れちゃったりしないのだろうか、と心配になる。
 聞くと、ドゴン族の家をモデルにしたという。写真を見せてもらった。

 アフリカの赤茶けた大地からそのままニョッキリ生えてきたような家。そこにある土を練って積み上げ、壁や天井としただけの、これ以上ない単純な作り。当然、色の点でも形の点でも、地面と建物は連続していて、両者を分断するような明確な境界は存在しない。 
 見ているうちに、なぜか「なんにもない大地にただ風が吹いてた」というフレーズが、脳内をリフレインし始めた。
 この構造物は、たまたま今この一瞬こそ、家らしき形態を保っている。が、いずれ風化という時の流れにさらされれば、何事もなかったかのようにまた土に還ってゆくのだろう。
 土の家が体現する、完璧な無常観。

 そして、一つのことに気づかされる。
 我々のあくせくした日々の営みも、いずれは無機的な微粒子に完全に分解され、宇宙には何の痕跡も残しえないのだ。 
 滅びの美学なんて、大袈裟なことを言うつもりはない。それでも、自分も死ぬときは、このドゴン族の家のように跡形もなく消えていきたい・・・ 
 (だったら、こんな自己顕示欲の塊のようなブログを残すなって?ごもっとも。)


 今思うに、土壁というものを初めて意識したのは、この時であった。 
 
                                          (つづく)

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