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『環境保護運動はどこが間違っているのか?』・読書日記
 僕が若い頃は、新書といえば、岩波、中公、講談社現代の御三家に決まっていた。が、この10年ほどの間に、ちくま、集英社、文春、新潮、宝島社、光文社、幻冬舎などなど、新書の創刊ラッシュが続いて、書店店頭での扱いも文庫よりも新書が前面に出てくるようになってきた。
 以前は単行本や新書で長期間売れて、これは古典となりうると判断されてようやく文庫化されるのが一般的パターンだったが、こうした新書ブームにのっかってのことだろう。驚いたことに最近は、文庫になった本を、もう一回売り出そうと新書として再出版する逆パターンがあるようだ。
 この本も1992年に単行本として出され、かなり売れて1999年に文庫化、そして、昨年また新書として出されている。巻頭にこのことが書かれてあったが、読んでいる内に、あれ、この読んだときの僕の心の反応は何か覚えがあるなあと思い出し、ようやく、17年前に単行本で読んだあの本だと気づいた次第。でも、内容がしっかりしている本なのでそのまま読み続け、一気に読み終えた。
 エントロピー研究の第一人者として、昔からエコロジー問題を追究してしてきた槌田敦が書いただけに、そんじょそこらの環境保護批判本よりもずっとしっかりしていると思う。何より、17年前と内容を変えずにまた売り出せるという辺りに、この人の先見性が出ている。

 この本の主張を一言でまとめると、リサイクルをいくら進めても自然の循環から逸脱している以上意味がない、逆に、「いくら使ってもリサイクルできるから大丈夫」と、より大量消費に向かってしまうのでダメ、ということになる。だから、現代の技術も完全循環型の江戸時代に学んで生かそう、となる。
 その他に、役所やボランティア市民団体がリサイクル運動を推進した結果、日本の優れた廃品回収システムが破壊されてしまい、結果として行き場のない大量の分別ゴミが蓄積していることも書かれてある。僕は、新自由主義には反対の立場だが、リサイクルに関しては、市場原理に任せた方がうまくいくらしい。 
 気になる点が二点。リサイクルなんてどれもこれも全く意味がない、とスパッと切り捨てるのはこの本の小気味良さではあるが、やはり、アルミを始めとした物については、リサイクルによる延命効果的な意味も少しは認めて良い気がする。あと、17年前の初版時と変わらずダイオキシンが最強の毒物扱いされているが、最近は否定的な見解もよく見かける。本当のところはどうなのか?

 ところでこの本では、牛乳パックのリサイクルは、再生紙を作るために余計たくさんのエネルギーを使うので全く意味がないという話が何度も繰り返し出てくる。これを読んで一度は納得したはずなのに、その後の長野時代の数年間、牛乳パックを洗ってせっせとリサイクルに出していた。同じ本を買ってしまったことと合わせて、自分の記憶力のいい加減さが余りに情けない。昨日また一つ年を取ったが、これでは進歩のしようもない・・・。

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