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『荒野へ』・読書日記
荒野へ
 1992年8月、アラスカの荒野の真ん中に打ち捨てられたバスの中に、一体の腐乱死体が発見された。それは、4ヶ月前にヒッチハイクでアラスカにやって来て、単身徒歩で荒野に分け入った青年であった。彼の名は、クリス・マッカンドレス。
 この本は、残されたわずかな日記を手がかりに、旅の途中で出会った人々をアメリカ中探し求めて聞き取り調査をし、彼の孤独な死に至るまでの足跡を辿ったものである。
 著者はエベレスト大量遭難事件を一当事者の目から記録した「空へ」(これも名作です!)で有名になった、登山家兼作家のジョン・クラカワー。
 アメリカ東海岸の厳格なエリート家庭に育ったクリスは、大学を学業・スポーツともに優秀な成績で卒業した(皆に好かれる性格だったが、異性との交友はほとんど無かったようだ)直後に、突然家族の前から姿を消す。預金を全額慈善団体に寄付し、車と持ち物もほとんど捨て、2年間、社会の末端の仕事をしながらヒッチハイクでアメリカを放浪。最終的に、ライフル1丁を携えて、一人アラスカの荒野に入っていく。荒野の小動物を狩り野草を食べるだけのひもじい生活をしながらも、残された日記と写真を見る限り、彼は決して後悔することなく日々楽しく過ごしていたようだ。しかし、4ヶ月後、そろそろ都市に戻ろうと考えていたようだが、些細なミスが原因で餓死してしまう。
 一体、彼が何を考えて家を飛び出し、何故アラスカに惹きつけられていったのか。半ばは推測ではあるのだが、ジョン・クラカワーというまたとない書き手のおかげもあって、クリスの気持ちが痛いほど良く伝わってくる。
 大方の人は、「若気の至りとは言えなんでこんな無茶なことをするのか、ばかばかしい」、と切り捨てるだろう。しかし僕には、読んでいてこんなに感情移入ができ、せつなくなる本は初めてだった。


 実は、この本を読んだのはあるきっかけがある。先日東京で、会社員時代の友人I君と久しぶりに飲んだ時、最近『荒野へ』の映画版を見て、あの当時の僕のことを思い出したと言われたのである。

 クリスがアラスカに向かっていたその当時、同じように20代前半だった僕も、南太平洋の無人島で一人で生きていきたいと真剣に考え続けていた。
 厳格な家族の下から逃げ出したかったことはある。好き放題ができた大学を出て、日本社会で働き蜂になるのが嫌だったのもある。(日本人が全員、自分を誤魔化して好きでもない人生を演じ続けているだけに見えた。)実際に会社に入ってみると、同期の連中の9割以上が彼氏彼女を作って巣作りを始め、そのためにホイホイ従順な会社人間に変貌していくのには幻滅した。「けっ、どいつもこいつも『自己家畜化』しやがって」と、心の底で、いや実際口にも出して、一人悪態をついていた。ハリネズミのようにツンツン尖って、周りに人を寄せ付けようとしない、そんな僕を理解してくれるのは、ほぼI君だけだった。(ちなみに当時、尾崎豊の「卒業」なんてのがまだ流行っていたが、あんなのは僕に言わせれば、軟派の甘ったれであって、ストイシズムがまるでない駄作だ。)
 僕はとにかく、あらゆる人間関係を放棄して、誰に頼ることもなく、自然の中、一人で自己完結型の人生を送りたかったのだ。そのためには、温暖な気候と豊かな自然の恵み(ココナッツやバナナがなりまくり)が期待できる南の島が一番実現性があるだろうという、思い込みがあった。大学卒業旅行で、フィジー、西サモア、トンガを各1ヶ月ずつ、ホームステイして、何となく実際のイメージも湧いていた。
 日本に戻り、南の島移住計画を練る過程で、『Blueprint For Paradise - How To Live On A Tropic Island 』という洋書を読破して、部分訳を作り、出版社に持ち込んだ。『地球交響曲』の龍村仁監督が、『夏の朝の成層圏』(池澤夏樹の名著、南海の無人島に漂着した若者の魂の成長を描いた小説)を映画化しようとしていると聞けば、主演俳優に採用してもらえないか、直接監督に売り込みにも行った。結局、翻訳本の出版も俳優デビュー(そもそも映画化自体されなかったが)も叶わず、そんな周辺部のことばかりやっていた自分は、当然のことながらついに無人島に辿り着くことがないまま、青春時代は終わってしまった。

 なぜクリスは最後には死ぬもののアラスカで4ヶ月間も楽しく生活でき、一方同じ年に生まれ同時代を生きていた僕は無人島に辿り着けなかったのか。今になれば、わかりすぎるほどわかる。つまり僕は彼ほど純粋じゃなかったということだ。僕には、「変わった人」として他人に認められたいという助平な下心が、実際混ざっている。それに、精神的肉体的タフさの点においても、彼のように4ヶ月もの間孤独に耐えることはできず、仮に行けたとしてもせいぜい10日で尻尾を巻いて逃げ帰ってくるのが落ちだったろう。
 そして、現在の僕と言えば、妥協に妥協を重ねつつ、あらゆる世俗的欲望をそこそこ満たそうとする中途半端な人生で、心も体も本当に汚れちまっている。「南の島移住の夢が叶い、理想の家造りも順調、沢登りをするための休暇や給料もまずまず貰え、何より健康な家族に恵まれている。そんな自分はなんと幸せなんだろう」、などと自分の人生に酔っていること自体、意地悪く言えば「自己家畜化」の証じゃあないか。
 この本を読んで久しぶりに、あの当時の、大自然の中で一人生きていきたいという、どうしようもなく湧き起こる魂の欲求を思い出した。でも、やっぱりあれは10代後半から20代までのごく一部の青年だけが持てる、特別な何かなんだろうなあ、とも思う。
 
 クリスほど純粋ではなかったが、それでも僕なりに確かにあった青春時代。
 それが、26歳で職業訓練大学に再入学した時点で、終わってしまったということをはっきりとわからせてくれた、せつない本。

 それにしても、あの当時の僕を唯一理解してくれていて、そして今の僕にこの作品の存在を教えてくれた友人I君、彼には感謝の言葉もない。

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