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『進化しすぎた脳』・読書日記
脳の解釈モデル
 昨晩我が家で友人達を招いてクリスマスパーティをしたのだが、その席で、「内観」という一種の瞑想法を研修指導しているFさんと、最近池谷裕二が面白い、中でも『進化しすぎた脳』が最高!という話で盛り上がった。その後も、福岡伸一、カール・セーガン、クリシュナムルティの話題へと続き、知的に大いに刺激された。大学を出てこの方、他人と共通の読書体験で盛り上がることがほとんどなかったので、久しぶりにものすごく楽しいひとときだった。
 この本は2004年に出版以来実に14万部以上売れたので、知っている人も多いとは思うが、最前線の大脳生理学者が、中高生に語った脳科学のレクチャーをまとめたものである。
 最先端の脳科学の研究成果をわかりやすく、400ページ近いボリュームながら一気に読ませてくれる。今まで脳科学の本は数冊読んだことはあったのだが、それでも、へーそうだったの、という新たな発見に満ち満ちていて、ワクワクさせられる。

 「世界は自分の脳の中にある」「世界は脳の中で作られる」
 精神世界、ニューサイエンス系の本を読むと、良く出てくる言葉である。
 なんとなく言わんとすることはわからなくもないが、やはり、僕はニュートン力学の世界の人間である。世界は絶対的な座標軸の中に確固たるものとして存在し、それを客体として自分の脳が眺めている。そういう世界観を打ち破る事が出来ない。しかし、この本の一節を読んで、あ、本当に世界は自分の脳が作っちゃってるんだな、と思った。

 どういうことか。まず上の図を見てほしい。
 「脳の活動を詳しく調べてみると、正方形と長方形をパッと切り替えたときと、実際にスーッとなめらかに変化させたときと、脳の同じ場所が活動していることがわかったんだ。つまり、動きの錯覚を見ているとき、実際に「動き」を感じる脳の部位が機能している。」「外の世界が何であろうとも、脳がそう活動しちゃったら、もうそれ以外の何ものでもないんだね。」「この錯覚の場合はどういうことが起こったかというと、はじめ正方形があって、次に長方形に瞬間的に置き換わると、たぶん脳は「あれ?おかしいな」と思うわけ。だって、物の形がこうも急に変わるのは現実の世界ではあり得ないでしょ。そういう状況に脳が立ち至ると、「これはきっと正方形が長方形に伸びて徐々に変化したに違いない」と脳が勝手に解釈するわけだ。その結果、正方形が〈伸びた〉という状況がつくられるんだな。」

 臨死体験をした人は、白い光のトンネルをくぐっていくことが多い。しかし、脳のある部位を電気刺激すると、その白い光のトンネルがリアルな映像として目の前に出現する。だから、臨死体験は脳内現象の一つではないか、という説を別の本で読んだことがある。上に長々引用した一節がすごいと思ったのは、誰かが外から電気刺激しなくても、本人の無意識のうちに、脳が自分で合理化しようとして、勝手に細胞を興奮させ、実際に見たのと全く同じ脳内現象を生じさせてしまうということである。つまり、本人は全く無意識なのだし、見える画像は全く実体験と一緒であるから、本人にとってそれが錯覚であるとは絶対に気づきようがないままに、「リアルな体験」が生み出されてしまうのである。
 20年前、「精神世界」を彷徨い歩いていた頃、奈良の大倭紫陽花邑という所で、「僕は宇宙の始まりまで行ってきた。それから生命が誕生し、人類が誕生していくのを、この目でありありと見てきた。」と告白する人に出会った。彼は特別統合失調症という雰囲気でもなかったし、当時の僕もかなりそっち系にかぶれていたので、「へー、すごいなあ、僕もいつか宇宙の始まりを見に行きたいなあ」、と正直思った。しかし、これなんかも、後天的に得たビッグバンの知識や映像なんかの記憶を材料として、彼の脳が無意識のうちに(あるいは半ば意識的に?)合理化しようとした結果、「リアルな体験」が生み出されたであろうことはほぼ間違いないだろう。

 ここまでで、脳は錯覚によってかなり勝手に世界を作ってしまうことはわかった。しかし、脳が作り出す世界とは別に、客観的絶対的な物質世界というのはやはり存在するのではないか、という気はする。だって、脳を持つ生命体が発生するはるか以前から、地球や宇宙は存在していた訳だし・・・
 しかし、「意味のある世界」の存在という観点からすると、これすらも怪しいらしいのである。
 例えば、人間の網膜には、赤・緑・青の三色に対応する細胞がたまたまあったから、人間にとっての光の三原色はこの三つになった。でも、もし人間の目が長波長のラジオ波も見えるとしたら、光はまっすぐに飛ばずに物が全てゆがんで見える。つまり単純線形の物理法則は成り立たなくなる。今、人間に見えている世界はごく限られた情報だけであり、「世界を脳が見ているというよりは、脳が(人間に固有な)世界をつくりあげているといった方が僕は正しいと思う」ということになる。別の言い方をすれば、「世界があって、それを見るために目を発達させたんじゃなくて、目ができたから世界が世界としてはじめて意味を持った。」ということ。うーん、この辺の文章は、ちょっと哲学じみてきて僕には難しい。

 さらにこの先著者の議論は、意識とは何か、という問題にどんどん深化していくが、これ以後は正直僕にはわからなくなってしまった。


 さて、本の書評はこの位にして、昨夜のパーティでの会話に戻ると、Fさん(♂)からはその後、男の性的欲望が、ある一定時間かかる脳内現象であり、途中の段階で意識的にシャットダウンできる、という話を聞いた。うーん、本当なら凄い。今度やり方教えてもらおうかしらん。

 しかし、この夜一番びっくりした話はこれ。Mさん(♀)が、インドで1年半ヨガ修業をしていた(彼女のこの経歴自体がかなりびっくりものだが。昔「インドの山奥で修業をした」レインボーマンというのがいたっけ)、その時に出逢った女性。洞窟内で女手一つで3人の子供を育てている、しかも子供たちの父親の国籍が全て違うらしい。
 うーん。言葉が出なかった。あんた、一体、狼少女かい。
 人生何でもありだね・・・
 あーでも、やっぱり僕は、ジョアン・ジルベルト、ビル・エバンス、バーデン・パウエル、キース・ジャレット、この4人に共通する「静謐」感に包まれながら、しみじみと生きていきたい。
 心が激動する日々は僕には辛すぎて、もう無理だ。
 
 どうも、固い話が続いたので、最後にほのぼの写真を。サンタから我が家の子供たちへのクリスマスプレゼント。
自転車ネフスピール




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