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2009年の読書総括
 今年一年間で硬軟取り混ぜ実に115冊の本を読んだ。昨年を上回り自己最高記録更新!

 思えば、十代の頃も良く本を読んだり、テレビを見たりしていた。そしてそれは多くの場合、未知の世界を知るためのものであった。やがて大人になって、いろんな経験をし、いろんな物を見、いろんな気持ちを感じるたびに、「あ、これって、あの本に似てるな」とか、「いつかテレビで見たな」という一種のデジャヴュを伴うことが時々あった。
 ところが、さらに歳を重ねるにつれ、今度は本を読んでいる時に(テレビはもう16年見ていない)、「あ、ここに書かれている街の風景、昔見たことあるよ」とか、「あ、この主人公の気持ち、あの頃の自分の気持ちそっくりだ、わかるわかる」とか、「これ、同じこと俺も考えてたよ」という風に、逆の意味でのデジャヴュを感じることが多い。つまり、読書が自分の過去を再確認する作業になってきている。そうなると、本を読む目もシビアになってきて、これは全然書き込めてない駄作だな、なんてことも一読してわかってくる。
 良くも悪くも、それだけ自分も歳をとったということである。
 さて、常々読んで非常に印象的だった本は、その度に読書日記として更新していたのだが、今年読んだ本の中で、何冊か、あえて個別には取り上げなかったものの、それでもいまだ印象に残っている本があるので、今回はまとめてそれを取り上げてみる。
 
1.『アフリカ・レポート』
 アフリカ諸国が独立後約半世紀経つが、経済的発展著しいアジア諸国と対照的に、絶対的貧困状況からいまだ立ち上がれないでいるのはなぜなのか?植民地支配時代に引かれた勝手な国境線、部族闘争、多国籍企業による収奪構造。いろんな要因はあるだろう。しかし、この本を読むと、一番大きいのは、指導者層のメチャメチャな腐敗振りだ、と思わざるを得ない。メチャメチャな指導者による破綻国家と言うと、我々日本人は北朝鮮を真っ先に思い浮かべるが、アフリカ諸国はそれ以前のレベル。例えるなら、弱小暴力団の組長一族が市役所を仕切って、税金や国の補助金を全部自分たちの懐に入れ、たてつくものは皆殺しといった感じ。とにかく酷すぎる実態が、これでもかと描き出されている。アフリカに生まれなくて良かったと、姑息にも思ってしまうほど。
 著者松本仁一は、元朝日新聞の記者なため、学者のように一つの問題点を深く掘り下げて解決策を提示すると言う視点には乏しいが、現在のアフリカが抱える様々な問題点を概観するには良い本だと思う。同じく松本の『カラシニコフ』も、銃を軸に世界の紛争地帯をレポートしており、なかなか衝撃的な本。お勧め。

2.『戦略的思考とは何か』
 以前、『日米同盟の正体』という、外務省出身のハト派の孫崎亨が書いた本を紹介したことがある。こちらは、孫崎の外務省時代の上司でタカ派の岡崎久彦が書いた本。
 『日米同盟の正体』とは逆に、日本が今後生き残っていくためには、アングロサクソン・対米協調が基本戦略であるということを懇々と説き明かしている。この本が書かれたのが1983年。ソ連崩壊前であり、その当時と今とは大分国際情勢は異なる。しかし、国家の防衛戦略を考える上での根本視点というのはいつの時代もそう変わるものではないだろうし、そこを踏まえた上で議論を始めないと、いつまでも水掛け論に終わる。世界の国々の歴史をひも解くと、(占領軍統治時代を除き)他国に占領されて屈辱的な支配を受けたことのない日本という国が、如何に地理的僥倖に恵まれた珍しい国であるか、に思い至る。そして、その幸運がこれからも未来永劫続くと思うのは、やはりおめでたすぎるのではないかという気がしてくるのである。
 僕は決して戦争を望む者ではないし、社民党や国民新党にはもっと頑張って欲しいと思っているが、やはり、福島瑞穂に国家防衛戦略を任せる気にはならないんだよなあ。

3.『ユダヤ人とは誰か』
 世界経済を牛耳る(とされている)ユダヤ人、そして、自らの故地だとしてパレスチナから土地を奪い取り、イスラエルを建国し、イスラム社会と対立し、世界中に混乱の種を撒き散らしている(と考えられている)ユダヤ人。しかし、実は「ユダヤ人」の中には、血縁的に全く関係のない2つの民族が含まれており、民族集団というよりは、ユダヤ教を信じる宗教集団と呼んだ方が適切である、なんてことはほとんどの日本人は知らないのではないか。
 現在世界中に1500万人いる「ユダヤ人」の9割が、実は元々は中央アジアに住んでいた、カザール人であり、彼らは8世紀に国家防衛上の必要に迫られて国を挙げてユダヤ教に集団改宗し、以後「ユダヤ人」を自称するようになっただけである。つまり、パレスチナの土地を奪う権利は何ら持っていない、ということを、ほかならぬカザール系ユダヤ人(アシュケナージ)の学者アーサー・ケストラーが研究、告白したのが、この問題の書である。ちなみに、本当の血統を受け継ぐユダヤ人はスファラディと言い、イスラエル国内では人口の約半数を占めるが、ほとんど下積みの仕事しかできていない。
 もちろん、こういったことは、ユダヤのタブーである。しかし、パレスチナ問題を考える上で、大前提として絶対知っておかなくてはならないことだろう。ただし、この本自体は世界史の教科書並みに退屈で読みにくかった。

4.『アフルエンザ』
 「物欲」という言葉が、食欲や性欲などという言葉と同列の一般名詞として日本でも頻用されるようになったのは、いつ頃からだろう。恐らくこの10年ほどではないだろうか。「アフルエンザ」とは、豊かさ・裕福さを表す「アフルエンス」と、流行性感冒を表す「インフルエンザ」を組み合わせた造語で、強力な伝染性のある過剰消費欲望病のこと。
 元々人間には物への欲求が原罪としてあったようだが、20世紀末のアメリカで、広告産業の発展に伴い、人間の物欲が爆発的に肥大してしまった。この本では、そのアメリカの悲惨な現状を踏まえ、それへの治療法を提案しているのだが、例示されるアメリカ人の消費ぶり、物質文化依存ぶりがとにかく凄まじい。ひと頃、日本人は欧米から働き蜂呼ばわりされたが、今はむしろ、アメリカ人の方が自らの消費欲望を満たすためだけに、日本人よりも長時間働かざるを得なくなっているほどなのだ。
 あるショッピングモールは、39万平方メートル(縦横約630m)の敷地内に1万人の人が働き、年間4000万人の人が数日間の買い物旅行に訪れる。アメリカ人の貯蓄率はほぼゼロであり、アメリカ人家庭の借金は可処分所得額とほぼ等しい。などなど、アメリカの行き過ぎた実情が次々と明らかにされて、これが日本の近未来かと思うと背筋が寒くなる。

5.『大江戸えねるぎー事情』
 江戸時代の日本は、鎖国による自給自足経済を貫いた超安定社会であった。特に江戸は当時世界最高の人口を誇る大都会であったが、徹底したエコロジーライフを実践していた。この本は、あかり、水、米、魚などなど、各種生活必需品を得るために必要なエネルギー量が、江戸と現代日本ではどれだけ異なるか(江戸は人力、現代日本は化石燃料中心)を検証している。その差、実に数百倍。
 と言っても、この本は数字計算だけの本ではなく、むしろ面白いのは計算するまでの過程で描き出される江戸の人々の暮らしぶりである。江戸の人々が園芸植物栽培が大好きで、桜の染井吉野が、染井という現豊島区の一大植木村で作られた品種だなんてことも初めて知った。あと、江戸と今の日本で何が一番違うかと言ったら、恐らく、夜の闇の深さだろう。不夜城と言われた吉原遊廓ですら、蝋燭が並んでいるだけに過ぎない。日が沈んだ後は月と星の明かりだけを頼りに生きていた人々の時間観念、自然のリズムで暮らす感覚と言うのは、ここ屋久島に暮らしていてもなかなかつかみきれないものだと思う。ましてや都会暮らしでは絶対無理だ。

6.『悪霊にさいなまれる世界』
 19歳の頃、親友と死生観について話していた時のこと。「僕はスウェーデンボルグ(霊界について詳述した科学者)を信じる」と言ったら、「神秘的なものを頭から否定する気はないが、かといって盲目的に信じることはできない」と言われた。彼は「生まれてからこの方読破した本は1冊もない」と豪語する男だったが、東大生としては珍しく、とにかく自分の頭で良く考え抜いている人だった。
 この本の著者カール・セーガンといえば、約30年前の名作TVドキュメンタリー『コスモス』を作った人として有名。彼は、極めてまともな宇宙科学者であると同時に、アメリカの宇宙人探索計画の中心人物として、宇宙人やUFOを生涯真剣に探し続けていた。(結局、いまだ宇宙人は見つかっていない。)その彼が、この本の中で一貫して、神秘に対する憧れは非常に大切なものであるが、同時に、常に本物であるか懐疑し科学的に検証していくことを忘れてはいけない、と訴え続けている。確かに今の日本でも、「神秘への憧れ」と「懐疑する精神」、この両者をバランスよく持てている人間がいかに少ないことか!
 今思うと、あるいはあの親友も予備校時代に、このカール・セーガンの主張を聞きかじっていたのかな。

7.『男というもの』
 男という生き物のやっかいさを、渡辺淳一がみごとに解説してくれた本。最近、怪しげな脳研究家による「男脳と女脳の違い」系の本がいろいろ出版されているが、脳内物質やホルモンによる還元論的説明で中途半端にわかった気にさせるよりも、文学者の表現でスパッと切ってもらった方が、僕にはよっぽどしっくりくる。渡辺淳一は軟派なイメージが強くて、今まで読まず嫌いだったが、この本はえらく気に入ったので、続けて『阿寒に果つ』『化身』を読んでみた。そしたら、最初は男の弱さを上手くとらえているなあと思っていた(特に『阿寒に果つ』中、女主人公に冷たくされた作者の分身の高校生が、北大に合格することが復讐になると思って頑張るあたり、「読書量自己最高記録更新!」などと一人得意になってる自分の姿となぜか重なり、男の愚かさ、切なさが痛いほどに伝わってくる)が、そのうち、男主人公たちのあまりのイジイジした優柔不断ぶりにイライラしてきた。こんな腐った男には自分自身なりたくないし、友達になるのも嫌だという感じ。しかも、どの登場人物も金太郎飴。3作で飽きた。やっぱり大した作家じゃないかも。

8.『火宅の人』
 今日、上巻を読んだだけでまだ下巻はこれからだが、これはなかなか面白い。檀ふみの父親、檀一雄の自伝的代表作として、あまりに有名。流行作家としてもてはやされ、金回りは相当良かったようだが、それを一銭も残さぬ勢いで、酒、女、旅と、放蕩の限りを尽くす。その我侭、無軌道ぶりが半端じゃない。周りの家族はどれだけ大変だったろう。それでいて、料理に凝って人にご馳走したり、子供と無邪気に遊んだり、とどこか憎めないところがある。男なら人生の一時期はこのくらいとことん遊び尽くしてみたいものだ、と憧れる。といっても一時期と限定できずに、人生の最後まで破滅に向かって突き進んでしまうのが、無頼派の無頼派たる所以であろう。但し、自由を求め過ぎてかえって不自由になってるような気がしなくもない。でもとにかく、渡辺淳一よりはるかに本物、筋金入り。

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